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ちひろ
書いてる人
深見東州さんの存在を知ったのは、もう15年以上前になります。日本にこんな人もいるんだというのがその頃の印象でした。
それから数年、この人はただ者ではないというのが私なりに分かってきて、それで深見東州さんのことを書いてみたいと思い、ブログを始めました。

ここ数年、見に来る人がやけに多くなって関心の高さを感じ、去年(2018年)からサイトも変え、もっとせっせと記事を書こうと思っています。

ところで深見東州さんについては、世間では意見が二つに分かれるようです。ダビンチのような万能の人じゃないかという人もいれば、怪しい人物じゃないかとか、胡散臭いと書かれていたりもします。よくわからない、謎の人物というのも多いですね。

ご判断はお任せするとして、肯定派の私の意見としては、深見東州さんの詳しい実態を知らなさそうな人、おそらく深見東州さんが出演するイベントに参加したことのなさそうな人に、否定的な意見が見られるように感じました。

と、えらそうなことを言っている私も、実は深見東州さんのことをよく理解しているわけではありません。わからないことの方が多いです。でも、イベントなどに参加すればするほど、本当に楽しいですし、ためになることが多いなと思います。この人はとてもいい人なんだなと心から思えますし、みんなを元気にしてくれる人だと思います。だから信用しています。

ということで、ここでは深見東州さんの活動から、まず、話題になっているものを拾い、最新情報を探して書きたいと思います。また、過去のことも調べて書いていくつもりです。ジャンルが幅広いのでわかりにくい部分はありますが、”誰でもわかる深見東州入門” を目指し、私自身も含めて、何者かよくわからないという人たちの謎を解くために書いていきますね。

外務大臣杯・文部科学大臣杯 第13回 ブラインドゴルフ ジャパンオープン チャンピオンシップ開催

何度かこのブログでも紹介してきた、外務大臣杯・文部科学大臣杯 第13回 ブラインドゴルフ ジャパンオープン チャンピオンシップ開催のお知らせが、新聞にも掲載されました。

3年ぶり13回目の開催ということで、かなりの年季を感じますね。プロのゴルフ大会でも、10回以上開催するのはなかなか大変なことだと思います。企業がスポンサーをするプロの大会は、様々な都合で途中で終わりになることがありますからね。見合うだけの宣伝効果がなければ、すぐに撤退しますよね。

 

この大会を主宰する日本ブラインドゴルフ振興協会は、2000年にNPO法人として東京都に認証された公益法人です。名誉会長として組織を支えてきた深見東州(半田晴久)さんの志は、初めて盲人ゴルフの組織を発足した1988年以来、今日まで28年間一貫して変わられてないように思います。それどころか、年々少しづつ発展を遂げてきていると思います。

その28年間のブラインドゴルフの歴史の中で、ブラインドゴルフ ジャパンオープン チャンピオンシップも、1994年に第1回大会が開催されて以来、今日まで継続されています。前回の2013年大会からは、外務大臣杯・文部科学大臣杯という名前がつきました。

一般に、国の行政機関の名前がつくということは、国も応援してますよというメッセージにも取れます。それに値する実績と信用と公益性がなければ、当然そのような名前をつけることを認可しないでしょうからね。

BLIND

ところで、深見東州さんがブラインドゴルフを日本に導入しようと思ったきっかけは、1988年にオーストラリアのパースで、ロン・アンダーソンという盲人との出会から始まります。友人の紹介で初めて会った時、全く普通の人に見えたそうです。普通に目を見て話し、机や椅子を避けて歩くので、視覚障害者だとは全くわからなかったそうです。

さらに、ゴルフ、ウインドサーフィン、ロッククライミングも行い、自転車レース、水泳選手権にも出場していると聞かれて、耳を疑うほど驚いたそうです。誰でも驚きますよね。健康な人でも、そんなにやってる人はめったにいませんから。

そして、それを一般の健康な人たちと一緒になって楽しんでいるところや、スポーツに挑戦する姿をビデオで見せてもらうと、感動で涙がとめどなく流れたそうです。それまで、福祉活動とはどうあるべきかを考え続けていた深見東州さんは、そのとき思ったそうです。

「これだ。これ以上楽しく、明るく、幸せそうに自己実現をしている例を見たことがない。日本でも身障者がスポーツをやり、芸術をやり、新しい試みをする人がいるが、国全体や全ての人々が明るく自然にそれを受け入れている訳ではない。これが福祉スポーツなのだ」

この時の思いが、日本にブラインドゴルフを紹介する原動力になりました。そして、少しずつ賛同者が現れて日本で波及するようになれば、それが日本の新しい福祉文化創造の一つのエネルギーになるという確信に基づき、日本初の盲人ゴルフクラブとなる「ブラインドゴルフ倶楽部」を作って、上井草ゴルフセンター(杉並区)でスタートしたそうです。

その後は、私設の盲人ゴルフクラブから、「日本盲人ゴルフ振興協会(現在は日本ブラインドゴルフ振興協会、略称JBGA)」として正式に発足していくことになります。

 

深見東州さんは、ブラインドゴルフこそ、視覚障害者のリハビリに最適なスポーツだと言われてますね。自然の中で健常者と同じ立場で楽しむことができて、また、対等に競えるスポーツだからだそうです。視覚障害者のメンタル面でのリハビリテーションには最適なのだそうです。

また、ブラインドゴルフは新しい時代の真の福祉活動のあり方を示唆しているとも言われていました。そのことは、以下の三点に集約することができるそうです。

  1. 視覚障害者がハイクオリティ・オブ・ライフを享受しつつ、明るく発展的な行き方を可能性にする多くのチャンスを得ることができる。
  2. 盲人ゴルファーは、最大限自分ですべてのアクションを処理するよう意義づけられている。
  3. 晴眼者(健常者)のボランティア活動が奉仕者自身の精神的、かつ肉体的向上につながる。盲人ゴルフという具体的なスポーツを共有体験することによって、障害者の自己表現の手助けをし、真実の福祉や公共性・教育性・文化性・国際性などをふまえた新しい時代の福祉の理想を実現することができる。

そのようなことを知って、ブラインドゴルフに触れてみると、また違ったものが見えてくるのかもしれませんね。そして、福祉活動の本当のあり方についても、考えが変わるかもしれません。

このブラインドゴルフのテレビ放映を記録したDVDが、たちばな出版から発売されています。
また、HANDA.TVでは、前回2013年の大会のダイジェストやふれあいの様子を見ることができます。

 

[DVD]ブラインドゴルフ ジャパンオープン チャンピオンシップ2004
2004年7月3日放送25分
02351

ブラインドゴルフ(視覚障害者によるゴルフ)は、今や世界的な広がりをもつ新しい福祉文化である。2004年5月、長野県シャトレーゼカントリークラブ野辺山にて、「ブラインドゴルフ・ジャパンオープン・チャンピオンシップ 2004」が開催された。本大会は、日本ブラインドゴルフ振興協会(JBGA)の主催によるもので、世界中から総勢100名が参加した。番組では、大会の熱戦の模様を中心に、大会関係者や参加者のインタビューを紹介し、ブラインドゴルフの意義を探る。

 

そして、以下は日本ブラインドゴルフ振興協会初代会長松井新二郎(故人)氏の挨拶からの抜粋です。

 

国際障害者年より7年後の1988年、この記念すべき年に誕生した〔日本盲人ゴルフ振興協会〕も、今年ではや7年目を迎えようとしています(1995年当時)同じ太陽の下で、同じ土の上で障害ウンヌンの壁を越えてみんなで一緒にゴルフをする、これは人間と人間のふれあいです。

日本で初めての当協会が発足出来たのも、その確かな歩みも、深見先生との心の出会いがあったからだと信じます。先生は「盲人をとじこめてはいけません」とおっしゃり、私たち目の不自由な者もゴルフを楽しめるようにその機会を与えて下さいました。私自身、ゴルフ場の緑萌える芝生の上で、大きく空気を吸いながら、新たに生きる喜びを感じたのを、つい昨日のことのように思い出します。他の目の不自由な方も、部屋からでて外の空気を思い切り吸って、それこそ生きている実感を感じたことでしょう。深見先生は、真のハイクオリティ・オブ・ライフを与えて下さる方だと思います。

 

外務大臣杯・文部科学大臣杯 第13回 ブラインドゴルフ ジャパンオープン チャンピオンシップ / 日本ブラインドゴルフ振興協会ホームページ

11月8日(火)~10日(木)
初日がジャパンオープン、2~3日目は世界大会であるIBGAワールドチャンピオンシップが開催。

開催場所 森林公園ゴルフ倶楽部
〒369-1215 埼玉県大里郡寄居町牟礼1132

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