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ちひろ
書いてる人
深見東州さんの存在を知ったのは、もう15年以上前になります。日本にこんな人もいるんだというのがその頃の印象でした。
それから数年、この人はただ者ではないというのが私なりに分かってきて、それで深見東州さんのことを書いてみたいと思い、ブログを始めました。

ここ数年、見に来る人がやけに多くなって関心の高さを感じ、去年(2018年)からサイトも変え、もっとせっせと記事を書こうと思っています。

ところで深見東州さんについては、世間では意見が二つに分かれるようです。ダビンチのような万能の人じゃないかという人もいれば、怪しい人物じゃないかとか、胡散臭いと書かれていたりもします。よくわからない、謎の人物というのも多いですね。

ご判断はお任せするとして、肯定派の私の意見としては、深見東州さんの詳しい実態を知らなさそうな人、おそらく深見東州さんが出演するイベントに参加したことのなさそうな人に、否定的な意見が見られるように感じました。

と、えらそうなことを言っている私も、実は深見東州さんのことをよく理解しているわけではありません。わからないことの方が多いです。でも、イベントなどに参加すればするほど、本当に楽しいですし、ためになることが多いなと思います。この人はとてもいい人なんだなと心から思えますし、みんなを元気にしてくれる人だと思います。だから信用しています。

ということで、ここでは深見東州さんの活動から、まず、話題になっているものを拾い、最新情報を探して書きたいと思います。また、過去のことも調べて書いていくつもりです。ジャンルが幅広いのでわかりにくい部分はありますが、”誰でもわかる深見東州入門” を目指し、私自身も含めて、何者かよくわからないという人たちの謎を解くために書いていきますね。

第3回国民のコンサートは、日本歌曲のクラシックコンサート

第3回国民のコンサートが、新国立劇場で開催されました。今回は、10月27日と29日の2度開催されました。そして、深見東州さんが、2日間とも、お一人で日本歌曲を歌うというコンサートでした。日本歌曲ですから、オーケストラもなく、ピアノ伴奏によるものです。

唱歌や童謡、日本の民謡など、日本で古くから歌われていた曲を歌うことにかけては、昔から定評がある深見東州さんです。日本の歌のCDも10数年前に出されてますから、かなり年季が入ってますね。

今回も評判にたがわず、温かい声で、しっとりと、また軽やかに、日本の四季折々や自然を読み込んだ歌の数々を披露されました。とても良かったですね。涙を流している人もたくさん見かけました。私も、歌自体には思い出はないのですが、なんとなく涙が出てくるんですよね。あっさりと歌われているようでも、そこに歌心があるからでしょう。

 

聞くところによると、深見東州さんのコンサートの前は、いろいろと忙しくて、またいろいろな妨げになるようなことも起きるそうです。そういうものを全て乗り越えてコンサートを迎えるそうなので、深見東州さんがステージに上がってくるだけで、涙が出るという人もいるそうです。

深見東州さん自身は、以前、音楽オペラエッセイの中で、思い通りに自分の声をコントロールする技術をマスターしたら、次にイメージ、次にハートを込める技術と言われてました。さらにそこから進むと、舞台で上から何かが降りてくるそうです。技術とイメージとハートを尽くし、日常生活や人生の足跡を通して魂が磨かれ高まると、その先に何かが降りてきて、大きな感動を共有できるのですと書かれてました。

そういうものが深見東州さんのコンサートにはあるのかもしれませんね。一流の音楽家たちも、同じようなことを感じているそうです。ルネ・フレミングも、キリ・テ・カナワも、クインシー・ジョーンズも同じようなことを言ってたそうです。ここまでくると、技術を超えたものになるようですけどね。

 

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写真は10年くらい前のコンサートのものです。

 

ところで、今回は日本歌曲によるクラシックコンサートでしたから、ほとんど曲間のお話もなく進みました。

これも以前書かれていたことですが、アリアは楽譜通りに歌わないとバラバラになり、オケと合わなくなるそうですが、歌曲になると、キーを自由に変えられるし、歌唱の表現もいろいろあるそうです。なので歌が上手な人にとっては腕の見せ所であり、真面目に歌うだけの人にとっては、難しく感じられるものだそうです。

歌曲をどう歌うのかが、最終的には一番難しいと、栗林義信世界芸術文化振興協会副会長も言われてたそうですから、日本歌曲というのはシンプルで歌いやすいように思えますが、実はそうではないんですね。良い声で歌っても、それだけでは何の魅力も感じないですよね。

 

それから、深見東州さんは能楽師でもありますが、能の精神性や内面性を表現に加えられているそうです。どういうことかというと、能は面を付け替えるだけで、男役であっても女役であっても、全て同じ声で歌ってますよね。それは心の声で歌っているそうです。

つまり、その役柄になりきって、観客の心に染み入る内面波動を出し分けているそうです。そうすると音色や響きの波動も変わり、聞いている人たちにもそのように聞こえるのだそうです。だから「羽衣」の天女を男性の太い声で演じても、観客は天女を本当の女性のように感じるそうです。

優れた能楽師になると、そのような「なりきりの内面芸」をマスターしていて、深見東州さんは、それを声楽にも応用して歌い分けているそうです。そのようなことを知って、深見東州さんの歌を聞くと、確かにそう感じられますね。その歌の主人公になりきって歌われてるので、どんな役でも、そのような声に聞こえる気がしますね。

 

深見東州さんはクラシックに関して、音楽の芸術性や発声、表現力、音楽理論の理解を深め、高めるための教科書だと言われてました。そのクラシックにおいては、レガートは歌唱の芸術と言われているそうですが、ゆっくりと、たっぷりとレガートで歌うところにその歌手の芸術性が現われ出てくるそうです。

早く歌うのはやさしいそうですが、たっぷりと、ゆっくりと歌い、それもピアニッシモ、ディミヌエンドで小さくなっていくのを狂わずに歌うのは、優れたテクニックが必要になるそうです。それができると、ピアニッシモの極致のような声でも、3000人クラスのホールの最後尾までしっかりと届くそうです。

たしかに、深見東州さんの細い声で歌ってる時の歌も、最後尾に近いところで聞いた時がありましたけど、しっかりと聞こえてましたからね。これがベルカント唱法なんだと実感したことがありました。

ベルカント唱法を正しくマスターすると、声量よりも、このような響きのテクニックを重視するそうです。ルネ・フレミングも、キリ・テ・カナワもそうだったと言われてました。世界のトップレベルの歌唱技術を持つ歌手は、そのような技術を磨いているのでしょう。そこをもっと詳しく書くと、それは以下のようになるそうです。

 

たっぷりと息を吸いこむ技術、少しづつ均等に吐き出す技術、声量よりも響きに重きを置く技術、キューゾ(響きを集める)に徹して、息が余計にもれなくする技術、音程によって当てる体のポイントや、筋肉の働きをキープする技術、ジラーレ(声を曲げて歌う)技術、母音を体から離して飛ばす技術、声帯が柔らかいままにする脱力技術、声帯を柔らかいままにしてほぐしながら歌うビブラートの技術、ソットボーチェの技術、ステージて緊張したり硬くならない心理的技術、心を届けるためのイメージの技術などです。

 

ということで、たくさんの細かい技術の集大成で、優れた歌唱が生まれるんでしょうね。専門的になるので私もよくわかりませんが、歌が好きな人の参考になればと思って書きました。

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