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ちひろ
書いてる人
深見東州さんの存在を知ったのは、もう15年以上前になります。日本にこんな人もいるんだというのがその頃の印象でした。
それから数年、この人はただ者ではないというのが私なりに分かってきて、それで深見東州さんのことを書いてみたいと思い、ブログを始めました。

ここ数年、見に来る人がやけに多くなって関心の高さを感じ、去年(2018年)からサイトも変え、もっとせっせと記事を書こうと思っています。

ところで深見東州さんについては、世間では意見が二つに分かれるようです。ダビンチのような万能の人じゃないかという人もいれば、怪しい人物じゃないかとか、胡散臭いと書かれていたりもします。よくわからない、謎の人物というのも多いですね。

ご判断はお任せするとして、肯定派の私の意見としては、深見東州さんの詳しい実態を知らなさそうな人、おそらく深見東州さんが出演するイベントに参加したことのなさそうな人に、否定的な意見が見られるように感じました。

と、えらそうなことを言っている私も、実は深見東州さんのことをよく理解しているわけではありません。わからないことの方が多いです。でも、イベントなどに参加すればするほど、本当に楽しいですし、ためになることが多いなと思います。この人はとてもいい人なんだなと心から思えますし、みんなを元気にしてくれる人だと思います。だから信用しています。

ということで、ここでは深見東州さんの活動から、まず、話題になっているものを拾い、最新情報を探して書きたいと思います。また、過去のことも調べて書いていくつもりです。ジャンルが幅広いのでわかりにくい部分はありますが、”誰でもわかる深見東州入門” を目指し、私自身も含めて、何者かよくわからないという人たちの謎を解くために書いていきますね。

高野誠鮮氏と深見東州(半田晴久)さんの対談

地域おこしに、なみなみならぬ情熱を持つ高野誠鮮氏と深見東州さんの対談記事が、毎日新聞に掲載されていました。

高野誠鮮氏は、先日ISPSハンダグローバルカップが開催された石川県羽咋市の生まれの方で、スーパー公務員として有名な方ですね。実家はお寺だったそうですが、大学で上京し、そこでUFO等の航空宇宙の分野に興味を持ったそうです。スタンフォード大学の教授に熱烈な手紙を書くと、相手から「君みたいな熱い学生からこんな熱烈な手紙をもらったのはひさしぶりだ。わたしの書いた論文を君にみんなあげよう」と、論文と手紙が届いたそうです。

ハンガリー出身の元情報将校にも手紙を書くと、今度はアメリカに来ないかと誘われます。そこで英語の勉強をして、お金を貯めアメリカに渡ったそうです。そこで人脈に対する哲学や戦略の大切さを学んだそうです。さらに「自分から叩けば響いてくれる人がいる」ということに気づいたそうです。

日本に戻ってからは、そのときの経験を生かして11PMなどの放送作家をしていたそうですが、あるとき占い師から、あなたは家を継ぐ人だと言われたのが気になり、実家に戻ることにしたそうです。しかし、まだ父が現役の僧侶でしたので、すぐ後を継ぐわけにもいかず、選択肢もないまま羽咋市の臨時職員になります。そして、正規職員になるには、この街にとってなくてはならない存在になるしかないと言われたそうです。

 

ある日、日頃から疑問に思っていたことを上司に聞きます。「いつからまちづくりを始めるんですか?」と。すると上司の逆鱗に触れてしまい、予算はつかないが、やりたいなら勝手にやってみろと言われて、町おこしに自ら取りかかることになったそうです。

その後は、様々なアイディアを実行に移し、成功を収めていきますが、中でも有名なものは、UFOでまちづくりを成功させたことでしょう。地元で麦わら帽子のような物体が羽咋市の空中を飛んでいたと書かれた古文書を見つけ、それを唯一の根拠として、羽咋市はUFOでまちづくりをすることを他県に広めて回ったそうです。そしてUFOについての国際シンポジウムを仕掛け、それが大成功となります。

この成功で、正規職員となり、その後も宇宙博物館「コスモアイル羽咋」の建設などを推進していきます。これも、直接米露に手紙を書き、相手のふところに飛び込んで説得して、本物の宇宙船に関するものをたくさん集めることに成功します。

 

もう一つ有名なものは、500人の限界集落の米をブランディングするため、神子原という地元の地名から神の子キリストの連想につなげ、ローマ法王への米の献上を実現したことでしょう。もちろん、粘りに粘って手紙を書いたそうです。すると、「あなた方の神子原は500人の小さな村ですね。私たちバチカンは800人の世界で一番小さな国です。その架け橋を私たちで作りましょう。」という言葉をいただいたそうです。

その後、『ローマ法王献上米』になったお米には買い手がつき、戦略的にデパートに卸すことに成功し、さらに農協に降ろさずに直売店を開くことにこぎつけるなど、新しい取り組みに対する抵抗もあったそうですけど、粘って説得し成功に導いたそうです。

その行動力は、深見東州さんもそうですけど、積極的に自ら相手と直接交渉するスタイルだったようです。

 

毎日新聞2016/7/30

毎日新聞2016/7/30

この深見東州(半田晴久)さんとの対談記事から、少し紹介します。

深見東州さんは、若者も高齢者も女性も男性も、持てる力を発揮し生きがいのある社会になれば理想的だと言われています。高野さんは僧侶だけに、人が損得ではなく無償の気持ちで行動すれば、すぐに理想の社会が実現するでしょうと言われています。

深見東州さんは、皆が、そういう境地になるのは難しいでしょうとしながら、そのためには古典や歴史などから学ぶ「教養の厚み」が欠かせない、先人たちの愛と知恵は時代を超えた普遍の価値だと言われていました。

深見東州さんは、これまでのビジネスで、いろいろと道を切り開けたのは、トップと直接会って交渉することができたからだと思っているそうです。これは先ほど紹介したように、高野さんも同じように自ら直接交渉し成功していますね。

 

また、お2人とも、並々ならぬ地方の活性化にかける情熱を持たれていますね。深見東州さんも高野さんも、このまま東京一極集中が進むことに大きな懸念を抱いてあるようです。

深見東州さんは、「街とは単に人が住む場所ではありません。生活の中から文化が生まれ、個性を形作ります。多様な個性があるということは、地方の街が元気ということであり、同時にそれを愛し守り伝えていく人がいるということです。東京への一極集中は、日本から個性を消し去り、活力だけでなく魅力もなくしてしまいます。」と持論を述べられています。

そして深見東州さんとしては、スポーツ振興によって地域社会に一体感をもたらし、人を育て社会をよりよくするために貢献したいということです。いつも言われていますが、スポーツの良い点はルールを守りチームワークを大切にし、自分を客観的に見つめて自己研鑽するところだそうです。つまり最高の教育でもあるという、世界の事例も少し紹介されていました。

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