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ちひろ
書いてる人
深見東州さんの存在を知ったのは、もう15年以上前になります。日本にこんな人もいるんだというのがその頃の印象でした。
それから数年、この人はただ者ではないというのが私なりに分かってきて、それで深見東州さんのことを書いてみたいと思い、ブログを始めました。

ここ数年、見に来る人がやけに多くなって関心の高さを感じ、去年(2018年)からサイトも変え、もっとせっせと記事を書こうと思っています。

ところで深見東州さんについては、世間では意見が二つに分かれるようです。ダビンチのような万能の人じゃないかという人もいれば、怪しい人物じゃないかとか、胡散臭いと書かれていたりもします。よくわからない、謎の人物というのも多いですね。

ご判断はお任せするとして、肯定派の私の意見としては、深見東州さんの詳しい実態を知らなさそうな人、おそらく深見東州さんが出演するイベントに参加したことのなさそうな人に、否定的な意見が見られるように感じました。

と、えらそうなことを言っている私も、実は深見東州さんのことをよく理解しているわけではありません。わからないことの方が多いです。でも、イベントなどに参加すればするほど、本当に楽しいですし、ためになることが多いなと思います。この人はとてもいい人なんだなと心から思えますし、みんなを元気にしてくれる人だと思います。だから信用しています。

ということで、ここでは深見東州さんの活動から、まず、話題になっているものを拾い、最新情報を探して書きたいと思います。また、過去のことも調べて書いていくつもりです。ジャンルが幅広いのでわかりにくい部分はありますが、”誰でもわかる深見東州入門” を目指し、私自身も含めて、何者かよくわからないという人たちの謎を解くために書いていきますね。

壮大なるスケールのアンコールワット薪能

深見東州さんは能楽に関しても、これまでにたくさんの貢献をされてきました。そのひとつが東京大薪能の開催です。

本当は、東京大薪能はほぼ毎年開催されていたのですが、今年はいまのところ開催という話を聞きません。能楽ファンの人たちの中には楽しみにしていた人もいたでしょうけど、今日は昔行われた薪能の中から、ひとつ紹介しようと思います。それはアンコールワット薪能です。

アンコールワットは、観光地として行ってみたいところにいつも上位ランクされるカンボジアの人気スボットとして有名ですけど、このアンコールワットの前で、深見東州さんは能楽を舞われたことがあります。

 

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2006年の1月23日のことです。

アンコールワットの裏の正面に能舞台が設置され、宝生流の渡辺荀之助さんが羽衣を、深見東州さんが鞍馬天狗を舞われたそうです。壮大なるロケーションでの薪能ですね。

世界初はなのはもちろんですが、アンコールワットでのイベントは、ユネスコの方針によりできなくなったので、ちょうどこれが最後になったそうです。

 

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カンボジアといえば、深見東州さんにとってゆかりの深い国です。現在、カンボジアの首相顧問をされていますけど、日本では在福岡カンボジア王国名誉領事を務められています。

もともとの発端は、カンボジアの窮状を知った深見東州さんがカンボジアに無料病院を建設することを決意され、それ以来の長いおつきあいになるそうです。深見東州さんが創設した宗教法人ワールドメイトが、その病院の運営費用を長い間まかなってきたそうです。

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そのときのアンコールワット薪能は、カンボジア王国政府、カンボジア平和協力機構からの強い要望があって、深見東州(半田晴久)さんが会長を務める世界芸術文化振興協会主催、カンボジア王国政府の公式支援と、アプサラ機構、カンボジア大学、シェム・リッアップ州政府、駐日カンボジア王国大使館の協力で開催されています。

この開催を強く希望されたカンボジア王国のサムデック・ノロドム・シルブット殿下も観劇されたそうです。そして、「カンボジアと日本の文化協力に加え、人と人 とのふれあいがより密になるでしょう。日本と カンボジアの文化に橋が架かることで、能の舞台に見られる 日本人の深遠なる精神が、千年前よりクメール文明の偉大なる象徴であった古代アンコールワットの精神と結ばれるのです。2つの文明の精神は共に融合し、アンコールワットの土の上に残り、偉大なる友情、平和、繁栄、そして幸福の力のシンボルとなっていくことでしょう。」との挨拶があったそうです。

深見東州さんに対しては、「多才で素晴らしい業績に加え、半田晴久先生は人道主義者として広く知られ尊敬されており、人々に多大なる貢献をされており、もちろんカンボジアに対しても大変にご尽力くださっています。半田晴久先生は、困窮した人々に 24時間医療を提供するシアヌーク病院の主要なスポンサーであり、また、多くの小学校の創設者であり、児童養護センターの創設者ならびにスポンサーであり、カンボジア大学を通じて高等教育の後援をなさっており、その他の多くのプロジェクトに関わっておいでです。」と紹介されていたそうです。

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