JaZZ ZAPAN Vol61に、深見東州さんとマイケルボルトンの記事が特集されていました。短いですが、的を得た、なかなか鋭い批評が書かれています。
「驚かされたのは、前回の初のジャズ・ライブから約半年という短期間で、深見がまた一段とジャズやスタンダードナンバーを自分のものにしていること。バンドのサウンドに心地よく乗って、終始リラックスした雰囲気でステージは進行。オベラの手法を駆使してドラマティックに聞かせたり、低音から高音までを幅広く効かせて軽やかに聴かせたり、前回からさらなる進化を感じさせた。」
「歌う際にも必ずその楽曲の意味や自分の所感(そしてギャグも)を話し、音楽に対する真摯な姿勢を強く感じさせる。ジャズもオベラもロックもポップスも演歌も、深見にとってはあくまでも同じ音楽なのだ。」
というように、ジャズの専門家から見ても、深見東州さんのヴォーカルの進化している姿が印象に残ったようですね。しかし深見東州さんはジャズばかり歌うわけではないし、ましてや歌ばかり歌っている暇もないはずなのに、確実に進化させていくところが、深見東州さんの持つ優れた特質でしょうね。
努力といっても、研究し尽くされた努力であり、最も効果的な努力の方法を知っているのでしょう。そうじゃなければ、2回目でそんなに変化しないはずですからね。
そしてステージ上はでは、いつもリラックスして歌うことも、とても大事なことだと思います。3大テノールのステージを見ても、リラックスして楽しんでいる姿が映し出されてますが、だからこそ歌が伸びやかに素晴らしく歌えるし、聞いている聴衆もノリがよく、楽しめるのでしょう。もちろん歌ってる歌手は、からだや喉はリラックスしていても、頭のなかは忙しく動いていると思います。そうじゃないと最高の歌唱を聴かせることはできませんからね。
深見東州さんの場合は、ステージの歌の合間にギャグを必ずかまされますけど、あれは演奏者や聴衆もリラックスされる効果があるとおもいます。そうすることで、聴衆も演奏者も歌う深見東州さんも、不思議な一体感に包まれてしまう気がしますね。
ただ上手に歌うだけではなく、ライブではステージと観客の一体感が大事になると思いますが、その雰囲気を作るのはなかなかできないことだと思います。あの才能も、深見東州さんが天性の、天才的なバフォーマーである証明になるでしょう。
ロックにおけるライブでは、10代20代の人たちとの間に、そういう雰囲気ができやすく思います。ロックフェスなんかが流行るのも、そういう一体感を楽しめるからではないかと思うのですが、深見東州さんのステージにも、我を忘れてみんながひとつになる感覚がありますね。
そうなった時のライブは、いつまでも心地よい余韻が残るんですよね。この横浜の時も、そんな感じでした。音楽には、みんなの心を一つにする不思議なパワーがあるようです。
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