MENU
ちひろ
書いてる人
深見東州さんの存在を知ったのは、もう15年以上前になります。日本にこんな人もいるんだというのがその頃の印象でした。
それから数年、この人はただ者ではないというのが私なりに分かってきて、それで深見東州さんのことを書いてみたいと思い、ブログを始めました。

ここ数年、見に来る人がやけに多くなって関心の高さを感じ、去年(2018年)からサイトも変え、もっとせっせと記事を書こうと思っています。

ところで深見東州さんについては、世間では意見が二つに分かれるようです。ダビンチのような万能の人じゃないかという人もいれば、怪しい人物じゃないかとか、胡散臭いと書かれていたりもします。よくわからない、謎の人物というのも多いですね。

ご判断はお任せするとして、肯定派の私の意見としては、深見東州さんの詳しい実態を知らなさそうな人、おそらく深見東州さんが出演するイベントに参加したことのなさそうな人に、否定的な意見が見られるように感じました。

と、えらそうなことを言っている私も、実は深見東州さんのことをよく理解しているわけではありません。わからないことの方が多いです。でも、イベントなどに参加すればするほど、本当に楽しいですし、ためになることが多いなと思います。この人はとてもいい人なんだなと心から思えますし、みんなを元気にしてくれる人だと思います。だから信用しています。

ということで、ここでは深見東州さんの活動から、まず、話題になっているものを拾い、最新情報を探して書きたいと思います。また、過去のことも調べて書いていくつもりです。ジャンルが幅広いのでわかりにくい部分はありますが、”誰でもわかる深見東州入門” を目指し、私自身も含めて、何者かよくわからないという人たちの謎を解くために書いていきますね。

3大テノールで、クラシックの巨人からボップ文化のアイドルへ

ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスという3人の偉大なテノール歌手が、ほぼ同じような時期に活動してたことは、素晴らしい運命の巡り合わせなのでしょうね。そのうちの2人と共演する深見東州さんには驚きますが、パヴァロッティが生きていれば、もしかすると、3大テノール全てと共演を果たしたかもしれませんね。
ところで1990年に、ホセカレーラスの、白血病との闘病からの復帰にともない、白血病の基金のために開催された3大テノールのコンサートは、コンサートそのものも大成功ですが、そのあとのオーディオ関係で1000万枚、ビデオで100万枚が売れたということです。当時のクラシック界では記録破りのことだったそうです。直後に日本から、皇居で3大テノールの公演をしないかとの話があったそうですが、それは実現しませんでした。
もちろんそのころは、パヴァロッティもドミンゴも、クラシック界では世界一のテノールを競い合う超スーバースターだったそうですが、さらにクラシックファン以外にも名前が知れ渡る、世界的な大スターだったようです。しかし、この3大テノールの公演の大成功で、もうロック歌手のスーバースターと肩を並べる商業的な成功を収める存在になってしまったそうです。
これはすごいことですね。クラシック界の巨人から、ボップ文化のアイドルへとなったのですから。ドミンゴを、1991年のころの世界の芸能界で5指に入るスーパスターだったという人もいます。1985年に、ドミンゴはオベラ映画「カルメン」のサウンドトラックでグラミー賞をとり、アカデミー賞のプレゼンターを務め、ハリウッドの世界にもその名を知られるようになります。新たなファン層や交流の幅が広がっていったそうですが、若いころの夢だったハリウッドの映画スターにまではなれませんでした。
しかし、その後の1990年代の3大テノールでの名声は、それを上回るものだったと言えるでしょう。そんな素晴らしい人と深見東州さんは共演されますが、ドミンゴの年齢から言っても始めで最後になるかもしれませんから、しっかり目と耳を研ぎ澄まして観に行きたいと思います。

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次