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ちひろ
書いてる人
深見東州さんの存在を知ったのは、もう15年以上前になります。日本にこんな人もいるんだというのがその頃の印象でした。
それから数年、この人はただ者ではないというのが私なりに分かってきて、それで深見東州さんのことを書いてみたいと思い、ブログを始めました。

ここ数年、見に来る人がやけに多くなって関心の高さを感じ、去年(2018年)からサイトも変え、もっとせっせと記事を書こうと思っています。

ところで深見東州さんについては、世間では意見が二つに分かれるようです。ダビンチのような万能の人じゃないかという人もいれば、怪しい人物じゃないかとか、胡散臭いと書かれていたりもします。よくわからない、謎の人物というのも多いですね。

ご判断はお任せするとして、肯定派の私の意見としては、深見東州さんの詳しい実態を知らなさそうな人、おそらく深見東州さんが出演するイベントに参加したことのなさそうな人に、否定的な意見が見られるように感じました。

と、えらそうなことを言っている私も、実は深見東州さんのことをよく理解しているわけではありません。わからないことの方が多いです。でも、イベントなどに参加すればするほど、本当に楽しいですし、ためになることが多いなと思います。この人はとてもいい人なんだなと心から思えますし、みんなを元気にしてくれる人だと思います。だから信用しています。

ということで、ここでは深見東州さんの活動から、まず、話題になっているものを拾い、最新情報を探して書きたいと思います。また、過去のことも調べて書いていくつもりです。ジャンルが幅広いのでわかりにくい部分はありますが、”誰でもわかる深見東州入門” を目指し、私自身も含めて、何者かよくわからないという人たちの謎を解くために書いていきますね。

進撃の阪神 巨人演歌コンサート、熱き心に

進撃の阪神 巨人演歌コンサートは、渋谷公会堂という今の流行、音楽、ファッションなどに満ちている渋谷の中心で開催されました。その最先端の音楽に押されて、めっきりと影が薄くなってるような演歌ですが、なかなかどうして、これがとてもすばらしいものでした。日本人ならば琴線に響くものがありますね。歌の背景や詳細はわからなくても、聞いてるだけで感情移入してしまいました。

もちろん、深見東州先生と小林旭さんの、歌の心を豊かに表現できる歌唱力のおかげが大きいかと思います。小林旭さんの声は思ったよりもハイトーンで、しかも75歳とは思えないほど伸びやかな声が出ていました。このへんはさすがプロ中のプロ、昭和の大スターといわれる人の実力でしょうか。

「熱き心に」では、皆総立ちになって、一緒に歌ってしまいました。こんなに次々良い曲をヒットさせていた時代があったのですね。今でも十分いける歌だと思います。

今日は最後に、ネットから頂いた記事を紹介します。

進撃の阪神巨人 演歌コンサート

2014年11月21日 デイリースポーツ

enka

割れんばかりの拍手に応える小林旭(左)と深見東州氏

 

「進撃の阪神巨人 演歌コンサート」が14日、東京・渋谷公会堂で行われ、2000人を超す超満員の観客が絶叫するなか、大盛況で幕を閉じた。今コンサートは「一般財団法人 東京芸術財団」の会長・深見東州(半田晴久)氏が、プロデュースと司会も務め、〝演歌の超大型巨人〟小林旭との〝東州演歌2人組〟でヒット曲を歌いまくるチャリティーコンサート。小林旭の澄んだ高音と深見東州氏の張りのあるバリトンが、会場に響き渡った。甲子園球場名物ジェット風船の飛び交った〝奇跡のコラボ〟に、音楽の殿堂が燃えに燃えた。

 

演歌はやはり日本人の心だ。伝統ある渋谷公会堂に、〝アキラ節〟と呼ばれる、あの澄んだ高音が響き渡る。その声と深見氏の魅力的なバリトンが、絶妙に絡み合っていく。

3曲歌われたアンコールのラスト、「熱き心に」。ワンフレーズ、ワンフレーズが観客の体に、そして心に染み込んでいく。歌は世につれ、世は歌につれ。二人の奇跡ともいえるコラボに、古きよき時代がフィードバックする。

マイトガイと呼ばれ、芸能界のトップに君臨してきた小林旭と、小林を「人間としても演歌歌手としても、そしてゴルファーとしても僕の兄」と慕う深見氏。親密な関係に加え、お互いに、歌手としての実力を認め合っているからこそ生まれたハーモニーに、誰もがステージにくぎ付けとなった。

「第1部」では、最初からサクソホンがむせび泣き、トランペットがすすり泣いた。銀色の着物姿で登場した深見氏は「人件費を省くために、私が司会もします。これから3曲は雪とか氷とかの歌なので、この色にしました。雰囲気が変わるたびに、着物が変わります」。お得意のジョーク交じりのあいさつ後、歌い始めたが、その歌声がステージに雪を降らせ、身も心も凍りつくような情景を出現させた。

 

オープニングの「北の宿から」では女心の未練を歌い、3曲目となる「津軽海峡・冬景色」では、雪が降りしきる、青函連絡船の上に、たたずむ悲しい女の姿を歌い上げた。さらに、オレンジ色の着物に着替えた後は、「カスバの女」や沢たまき、ちあきなおみ、そしてあの石原裕次郎も切なく歌い上げた、「ベッドで煙草を吸わないで」の歌詞に情感を込めた。

さらに、黒袖で赤色の着物姿で歌った、「第1回日本レコード大賞」曲「黒い花びら」では本家・水原弘のお株を奪うムーディーな歌声、圧倒的な声量で魅了した。また、「伊勢佐木町ブルース」では、深見氏の合図で場内に、あの青江三奈のようなため息、吐息が充満する光景も演出した。
「きょうはすべてナイトクラブコーナーです」。深見はそう笑わせたが、オリジナル曲「こころ」「福岡帰行」では甘い、甘い歌声を披露し、「星降る街角」「空に太陽がある限り」の2曲でコーナーを締めた。ラスト曲後には今や「進撃コンサート」のお約束になったジェット風船も舞った。

 

第2部はマイトガイ・小林旭のオンステージだった。懐かしい「自動車ショー歌」でスタートしたメドレーは、マイトガイの由来となった「ダイナマイトが百五十屯」まで、全9曲を歌いまくった。その後、「ダイナマイト~がヒットして、俺がマイトガイになった。石原裕次郎がタフガイ、二谷英明がダンプガイ、そして宍戸錠さんはうまいね。日活のお偉いさんを前に『じゃ、俺はモンダイガイ(問題外)か』って。笑ったね」とトークも全開。かつて「日活ダイヤモンドライン」と呼ばれた仲間たちのエピソードを明かし、会場を爆笑の渦に巻き込んだ。

さらに、独特の高音を響かせ「昔の名前で出ています」「水たまり」「熱き心に」などを熱唱し、アンコールへと突入した。
日本の心、そして日本人の情愛、情念まで歌い上げた「進撃の阪神巨人 演歌コンサート」。凍(い)てつく寒さの中に浮かぶ日本の原風景…。演歌がある日本に生まれてよかった、と思った。(今野良彦)

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