進撃の阪神 巨人演歌コンサートは、渋谷公会堂という今の流行、音楽、ファッションなどに満ちている渋谷の中心で開催されました。その最先端の音楽に押されて、めっきりと影が薄くなってるような演歌ですが、なかなかどうして、これがとてもすばらしいものでした。日本人ならば琴線に響くものがありますね。歌の背景や詳細はわからなくても、聞いてるだけで感情移入してしまいました。
もちろん、深見東州先生と小林旭さんの、歌の心を豊かに表現できる歌唱力のおかげが大きいかと思います。小林旭さんの声は思ったよりもハイトーンで、しかも75歳とは思えないほど伸びやかな声が出ていました。このへんはさすがプロ中のプロ、昭和の大スターといわれる人の実力でしょうか。
「熱き心に」では、皆総立ちになって、一緒に歌ってしまいました。こんなに次々良い曲をヒットさせていた時代があったのですね。今でも十分いける歌だと思います。
今日は最後に、ネットから頂いた記事を紹介します。
2014年11月21日 デイリースポーツ
「進撃の阪神巨人 演歌コンサート」が14日、東京・渋谷公会堂で行われ、2000人を超す超満員の観客が絶叫するなか、大盛況で幕を閉じた。今コンサートは「一般財団法人 東京芸術財団」の会長・深見東州(半田晴久)氏が、プロデュースと司会も務め、〝演歌の超大型巨人〟小林旭との〝東州演歌2人組〟でヒット曲を歌いまくるチャリティーコンサート。小林旭の澄んだ高音と深見東州氏の張りのあるバリトンが、会場に響き渡った。甲子園球場名物ジェット風船の飛び交った〝奇跡のコラボ〟に、音楽の殿堂が燃えに燃えた。
演歌はやはり日本人の心だ。伝統ある渋谷公会堂に、〝アキラ節〟と呼ばれる、あの澄んだ高音が響き渡る。その声と深見氏の魅力的なバリトンが、絶妙に絡み合っていく。
3曲歌われたアンコールのラスト、「熱き心に」。ワンフレーズ、ワンフレーズが観客の体に、そして心に染み込んでいく。歌は世につれ、世は歌につれ。二人の奇跡ともいえるコラボに、古きよき時代がフィードバックする。
マイトガイと呼ばれ、芸能界のトップに君臨してきた小林旭と、小林を「人間としても演歌歌手としても、そしてゴルファーとしても僕の兄」と慕う深見氏。親密な関係に加え、お互いに、歌手としての実力を認め合っているからこそ生まれたハーモニーに、誰もがステージにくぎ付けとなった。
「第1部」では、最初からサクソホンがむせび泣き、トランペットがすすり泣いた。銀色の着物姿で登場した深見氏は「人件費を省くために、私が司会もします。これから3曲は雪とか氷とかの歌なので、この色にしました。雰囲気が変わるたびに、着物が変わります」。お得意のジョーク交じりのあいさつ後、歌い始めたが、その歌声がステージに雪を降らせ、身も心も凍りつくような情景を出現させた。
オープニングの「北の宿から」では女心の未練を歌い、3曲目となる「津軽海峡・冬景色」では、雪が降りしきる、青函連絡船の上に、たたずむ悲しい女の姿を歌い上げた。さらに、オレンジ色の着物に着替えた後は、「カスバの女」や沢たまき、ちあきなおみ、そしてあの石原裕次郎も切なく歌い上げた、「ベッドで煙草を吸わないで」の歌詞に情感を込めた。
さらに、黒袖で赤色の着物姿で歌った、「第1回日本レコード大賞」曲「黒い花びら」では本家・水原弘のお株を奪うムーディーな歌声、圧倒的な声量で魅了した。また、「伊勢佐木町ブルース」では、深見氏の合図で場内に、あの青江三奈のようなため息、吐息が充満する光景も演出した。
「きょうはすべてナイトクラブコーナーです」。深見はそう笑わせたが、オリジナル曲「こころ」「福岡帰行」では甘い、甘い歌声を披露し、「星降る街角」「空に太陽がある限り」の2曲でコーナーを締めた。ラスト曲後には今や「進撃コンサート」のお約束になったジェット風船も舞った。
第2部はマイトガイ・小林旭のオンステージだった。懐かしい「自動車ショー歌」でスタートしたメドレーは、マイトガイの由来となった「ダイナマイトが百五十屯」まで、全9曲を歌いまくった。その後、「ダイナマイト~がヒットして、俺がマイトガイになった。石原裕次郎がタフガイ、二谷英明がダンプガイ、そして宍戸錠さんはうまいね。日活のお偉いさんを前に『じゃ、俺はモンダイガイ(問題外)か』って。笑ったね」とトークも全開。かつて「日活ダイヤモンドライン」と呼ばれた仲間たちのエピソードを明かし、会場を爆笑の渦に巻き込んだ。
さらに、独特の高音を響かせ「昔の名前で出ています」「水たまり」「熱き心に」などを熱唱し、アンコールへと突入した。
日本の心、そして日本人の情愛、情念まで歌い上げた「進撃の阪神巨人 演歌コンサート」。凍(い)てつく寒さの中に浮かぶ日本の原風景…。演歌がある日本に生まれてよかった、と思った。(今野良彦)
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