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ちひろ
書いてる人
深見東州さんの存在を知ったのは、もう15年以上前になります。日本にこんな人もいるんだというのがその頃の印象でした。
それから数年、この人はただ者ではないというのが私なりに分かってきて、それで深見東州さんのことを書いてみたいと思い、ブログを始めました。

ここ数年、見に来る人がやけに多くなって関心の高さを感じ、去年(2018年)からサイトも変え、もっとせっせと記事を書こうと思っています。

ところで深見東州さんについては、世間では意見が二つに分かれるようです。ダビンチのような万能の人じゃないかという人もいれば、怪しい人物じゃないかとか、胡散臭いと書かれていたりもします。よくわからない、謎の人物というのも多いですね。

ご判断はお任せするとして、肯定派の私の意見としては、深見東州さんの詳しい実態を知らなさそうな人、おそらく深見東州さんが出演するイベントに参加したことのなさそうな人に、否定的な意見が見られるように感じました。

と、えらそうなことを言っている私も、実は深見東州さんのことをよく理解しているわけではありません。わからないことの方が多いです。でも、イベントなどに参加すればするほど、本当に楽しいですし、ためになることが多いなと思います。この人はとてもいい人なんだなと心から思えますし、みんなを元気にしてくれる人だと思います。だから信用しています。

ということで、ここでは深見東州さんの活動から、まず、話題になっているものを拾い、最新情報を探して書きたいと思います。また、過去のことも調べて書いていくつもりです。ジャンルが幅広いのでわかりにくい部分はありますが、”誰でもわかる深見東州入門” を目指し、私自身も含めて、何者かよくわからないという人たちの謎を解くために書いていきますね。

2023「ハンダ・オペラ・オン・シドニー・ハーバー」『蝶々夫人』の見どころと評判

2023年の「ハンダ・オペラ・オン・シドニー・ハーバー(Handa Opera on Sydney Harbour)」は、『マダム・バタフライ』(蝶々夫人)が上演されました。

このイベントは、ニューサウスウェールズ州 (NSW) の観光と主要イベントを統括する政府機関デスティネーション NSW と、深見東州さんが会長を務めるIFAC(世界芸術文化振興協会)の支援によって、国立オペラオーストラリアが2012年から毎年開催してきました。

今年上演された『蝶々夫人』は、世界中で最も人気の高いオペラの一つとして、多くの人に知られていますよね。作曲したプッチーニは、「私がこれまで考えた中で、最も心に響く、感動的なオペラ」と語っていたそうです。プッチーニの作品では他にも『ラ・ボエーム』、『トゥーランドット』が、「ハンダ・オペラ・オン・シドニー・ハーバー」で上演されてきました。

プッチーニは、アメリカ人作家のジョン・ルーサー・ロングの『蝶々夫人』を戯曲化したダヴィッド・ベラスコの舞台を見て感激し、このオペラを作ることを思い立ったと言われています。120年ほど前の話ですけどね。

プッチーニは、蝶々さんが一途な愛を信じ続ける儚い運命の美少女だったことや、信じていたピンカートンに騙されたことを知った時に、自らの名誉を守るために死を選ぶ気高さに感激したと言われています。それと明治維新以降、日本文化が西洋に知られるようになり、当時は日本ブームだった影響もあるようです。そんな異国情緒の魅力溢れる作品だったことも理由だったのでしょう。

ピンカートンは歴史の浅いアメリカの、自由で好き勝手な米国軍人として描かれています。そのピンカートンは蝶々さんのエキゾチックな魅力に惹かれ、斡旋業者に金を払って日本での一時的な結婚を買うという、今で言えば一種の人身売買か女性蔑視とも取れる行動をしますが、当時の日本ではそんなことが罷り通っていたそうです。

「アメリカのさすらい者は行く先々で色んな物を味わい、日本は家も女も自由自在。アメリカ人の本妻となる女性に乾杯!」と嘯いているほどですから。

しかし蝶々さんは、その結婚を真実の愛からと信じています。そしてアメリカに戻ったピンカートンの帰りをずっと待ち続けます。実は息子もできていました。使用人はもう帰ってこないと思って諦めるように言いますが、他の人からの求婚も断っています。

ここで、このオペラ最大の見せ場となるアリア「ある晴れた日に」を、蝶々さんが歌います。涙なしには聞けない名曲中の名曲ですね。今回は韓国出身のソプラノ歌手カラ・ソンさんが歌いました。

アリアある晴れた日に(’Un bel dì’)

ある晴れた日に、私たちは見るのよ

ひとすじの煙が、遠い水平線の彼方に立ち昇り、やがて船が現れるのを

その白い船は港に入り、礼砲を鳴らすわ

見えるかしら?あの人が戻って来たのよ

でも私は迎えに行かないわ。行かないの

丘のふもとまで行って、じっと待つのよ

ずっと待つわ。待つのは平気よ、どんなに長くても

そうすると町の人ごみの中から、点のように男の人が現れ、丘の方へ近づいてくるの

それは誰?それは誰なの?

ここに着いたら何を言うのかしら

その人は遠くから蝶々さんって呼ぶわ

ても私は応えないで隠れていましょう

ちょっとした悪戯よ、お会いした喜びで死んでしまわないために

彼の方は少し心配になって呼んでくださるわ

こう呼ぶの「バーベナの花の香りがする、かわいい妻よ」って

昔あの人が来た時、そう呼んでくれたように

きっとこうなるはずよ。誓ってもいいわ

だからあなたは心配しないで

心から信じて、私は彼の方をお待ちしているの

注 :「バーベナ」は「美女桜」のことで、「魅惑」と言う花言葉があります。

こちらは2014年「ハンダ・オペラ・オン・シドニー・ハーバー」でタイトルロールを演じた大村博美さんの歌です。

ピンカートンはアメリカ人女性と結婚し、3年後にアメリカ妻を伴って長崎にやって来ます。そして蝶々さんの一途の愛を知って慄き、情けなくもその場から逃げ出してしまいました。

アリエッタ『さらば愛の住処よ

さらば、愛の家 花に満ちた隠れ家

その優しい面ざしを、激しい後悔とともに思い出すだろう

おまえの悲しげな様子に私は耐えられない

卑怯にも私はここから逃げ出すのだ

ああ、卑怯者の私を許してくれ!

家族からも見放され、ピンカートンの裏切りを知った蝶々さんにとっては、再び芸者の道に戻ることは恥を晒す、死よりも辛いことだったのでしょう。息子をピンカートンとアメリカ人の嫁に託して、自分自身は「名誉をもって生きられなければ、名誉をもって死ぬ」と刻まれた父の形見の刀で自刃する道を選びます。

アリア『さようなら、坊や』

坊や!坊や!

お前は小さい神様、私の宝

百合の花、バラの花のように愛らしい子

お前の澄んだ目に、死んでゆく蝶々の姿が映らないことを

お前が海の向こうの遠い国に行って、大きくなった時に、母親に捨てられたなんて思わないように

お前は天が私に授けてくれた大事な子

さあ、お母さんの顔をよく見ておくのよ

もうお別れなのだから

さあ、よく見て!

さようなら、いとしい坊や、さようなら

お行きなさい・・遊んでおいで・・

昔の士族の人たちは、家や自身の恥を晒すようなことがあれば、潔く死を選ぶと言う話は聞いたことがあります。このオペラでも、そのような当時の日本女性に対するイメージ通りの、誇り高い生き様を描いたものだったのでしょう。

今回「ハンダ・オペラ・オン・シドニー・ハーバー」で上演されたものは、9年前に初上演されたアレックス・オレ演出のバージョンを、演出家のスサナ・ゴメスと演出助手のワーウィック・ドドレルが、若干のアップデートを加え再上演したものになります。

ピンカートンは、現代の実業家、不動産開発業者に変わっていて、蝶々さんと、その故郷である楽園に目をつけます。富を得るためには美を破壊することもいとわない冷酷で強欲な人物という設定でした。

第1幕では、人工芝で作られたなだらかな丘と竹林が登場します。その美しい景色が、第2幕では荒廃したようにも見える開発途中の建物に変わっていきます。このあたりに、開発によって自然の楽園が壊されていくと言う、アレックス・オレの意図が表されているのでしょう。

この舞台美術を担当したのはアルフォンス・フローレスで、他にも巨大な太陽や月なども見どころだったようです。

たくさんのレビューがウェブ上に上がっていて読みきれませんけど、いくつか見た中では、総じて評価が高かったと感じました。

カラ・ソンは、何よりもまず蝶々さん役で、まったくもって見事な演技を披露しています。彼女は空想のロマンスに夢中になり、破滅的な瞬間になるまでしっかりと持ちこたえる、衝動的でナイーブな少女を説得力たっぷりに演じています。ソプラノのアリア “Un bel di, vedremo”(いつか晴れた日に)は、息をのむような美しさです。

9年前に初演され、今回スサナ・ゴメスによって再演された、アレックス・オレとラ・フーラ・デル・バウスによるプッチーニの『蝶々夫人』は、オペラ・オーストラリアによるハンダオペラ・オン・シドニー・ハーバーの作品の中でも最も意義深く、説得力のある作品である

ハンダオペラ・オン・シドニー・ハーバーのシリーズで、これまですべてのオペラを指揮してきたブライアン・キャッスル=オニオンが、プッチーニの美しいスコアをオペラ・オーストラリア・オーケストラから見事に引き出し、甘美なアリアとアンサンブルのそれぞれが、この輝かしいオペラに固有の喜びと悲劇を表現することに成功している。

アルフォンス・フローレスがデザインした巨大な太陽と月、官能的だが短命な初夜を暗示する花火、第2幕と第3幕の間にバタフライの家の前を荷物を引きずりながら「ハミングコーラス」を歌う奇妙な難民の一団など、オペラオーストラリアはあらゆる手段を駆使して、この舞台を見ごたえのあるものにした。

スペインの優れた演劇集団「ラ・フーラ・デル・バウス」のアレックス・オレとその仲間たちによって創られた演出は、目を楽しませてくれるものであり、それがスサナ・ゴメスの確かな手腕によって蘇った。衝撃的な挑発と、繊細な美しさの視覚的要素を巧みにミックスした舞台で、プッチーニの永遠のメロディーが絶妙なタイミングで止まり、結婚式のシーンで恒例の華麗な花火が上がった。

オペラ・オーストラリアが毎年開催している「ハンダ・オペラ・オン・ザ・ハーバー」は、オペラ・オーストラリアのパトロンである半田晴久氏にちなんで名付けられたもので、シドニーで最も期待される社交イベントの一つであることは間違いありません。3月24日に行われたスペイン人演出家アレックス・オレによるプッチーニの「蝶々夫人」の初演では、オーストラリアの元首相3人を含むブラックタイの観客が集まり、この公演がAリストの観客に支持されていることが示されました。

秋の夕暮れ時、カジュアルな雰囲気の中で人気のオペラを鑑賞し(カジュアルな服装で)、同時に、日が暮れ、オオコウモリが木にとまり、ファーム・コーブの西、ベネロングポイントのオペラハウスに灯りがともるというのは、ユニークで快楽的、民主的な「シドニー」らしいことでもあるのです。

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