3月に開催された深見東州さんの書画展の開幕式の様子を、HANDA.TVで視聴しました。その時のことを思い出しながら見ましたけど、お茶事について、とても詳しく解説されていましたね。私も一度、お茶のことを知人から教えてもらい、やってみたことがありますけど、こんなに深い意味があるとはまったく知りませんでした。
茶道をたしなみのために習う人もいると思いますが、本当のお茶事はそんなものではなく、深見東州さんのお茶事の話を聞くと、かなり見方が変わります。精神文化の高い、遊び事だったのかなと感じますね。そこにおもてなしの心が込められているのでしょう。おもてなしの仕方も、茶室にお客を招き、お茶やお菓子、料理を振る舞う、その一つ一つに凝ったおもてなしがあり、お茶のお点前のお稽古も、そのためにあるわけですね。
そして、お部屋には掛け軸がかけられていますが、その禅語の意味にも深いものがあり、解説を聞いてもよくわからないことばかりでした。禅にも深い心得がなければ理解できないですね。昔の人は、そんなことを話題にしながらお茶を楽しんでいたんでしょうかね。茶禅一味というくらいですから、昔の茶人や武将は禅を理解できる人が多かったのかもしれません。
また、深見東州さんによると、日本料理や陶芸は、茶道がルーツにあるそうです。料理や陶器もお茶事から発展してきたようです。そう言われると、そうなのかもしれませんね。おもてなしをするために料理も工夫され、優れた美術品としての陶器も生まれてきたのでしょう。
同じように造園や建築や華道も、お茶事を通して発展してきた歴史があるようです。掛け軸にするための書もそうかもしれません。そういうことを知ってお茶を習うと、また違った気持ちでお茶事を楽しめるようになるのかもしれません。そして江戸千家新柳派の免状を持つ深見東州さん自らお点前を披露され、来日したゲストの方達に振舞われていました。とても綺麗なお点前を見ることができます。
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あと、掛け軸もたくさん展示されていましたが、今回映像で改めて見ると、面白い作品がいくつかあります。真面目に書かれた正統派の掛け軸もありますが、遊び心溢れる書もあり、そちらもとても味わい深いものがありますね。
その中でも和敬清寂という、畳くらいの大きな書の作品は、一字一字はめちゃくちゃに書かれているように見えます。でもそれが、一枚の書の作品になると、とてもバランスが良く、線の大小、濃淡やかすれ具合も美しく見えます。字としてはバラバラですが、白と黒で表現された見事なアート作品になってますね。こんな書は、狙ってかけるものとは思えないので、瞬間的なひらめきで書くものなのでしょう。
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