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ちひろ
書いてる人
深見東州さんの存在を知ったのは、もう15年以上前になります。日本にこんな人もいるんだというのがその頃の印象でした。
それから数年、この人はただ者ではないというのが私なりに分かってきて、それで深見東州さんのことを書いてみたいと思い、ブログを始めました。

ここ数年、見に来る人がやけに多くなって関心の高さを感じ、去年(2018年)からサイトも変え、もっとせっせと記事を書こうと思っています。

ところで深見東州さんについては、世間では意見が二つに分かれるようです。ダビンチのような万能の人じゃないかという人もいれば、怪しい人物じゃないかとか、胡散臭いと書かれていたりもします。よくわからない、謎の人物というのも多いですね。

ご判断はお任せするとして、肯定派の私の意見としては、深見東州さんの詳しい実態を知らなさそうな人、おそらく深見東州さんが出演するイベントに参加したことのなさそうな人に、否定的な意見が見られるように感じました。

と、えらそうなことを言っている私も、実は深見東州さんのことをよく理解しているわけではありません。わからないことの方が多いです。でも、イベントなどに参加すればするほど、本当に楽しいですし、ためになることが多いなと思います。この人はとてもいい人なんだなと心から思えますし、みんなを元気にしてくれる人だと思います。だから信用しています。

ということで、ここでは深見東州さんの活動から、まず、話題になっているものを拾い、最新情報を探して書きたいと思います。また、過去のことも調べて書いていくつもりです。ジャンルが幅広いのでわかりにくい部分はありますが、”誰でもわかる深見東州入門” を目指し、私自身も含めて、何者かよくわからないという人たちの謎を解くために書いていきますね。

オールブラックス元キャプテン、リッチー・マコウ選手も国際スポーツ振興協会のアンバサダーに

前回の内容の続きみたいになりますが、ニュージーランドラグビーナショナルチーム・オールブラックスのキャプテンを務めた、リッチー・マコウ選手が、深見東州さんが会長を務める国際スポーツ振興協会のアンバサリーに就任したようです。

リッチー・マコウ選手は、ラグビーファンの人によると、ラグビー史上最高との誉れ高い名選手になるそうです。以前こちらの記事でも紹介したダン・カーター選手に次ぐ、オールブラックスからの就任になりますね。

その記事でも書いたように、ラグビーのことについては全く詳しくありません。でも、紹介するからには、リッチー・マコウ選手のことを知らないわけにはいきませんので、少し調べてみたことを書いてみたいと思います。

リッチー・マコウ選手は、2001年からオールブラックスに選出され、2015年のワールドカップ優勝後に、現役から引退しています。ダン・カーター選手より1歳と4ヶ月ほど年上で、活躍した時期もほぼ同じになりますね。ただダンカーター選手は、やはり2015年のワールドカップ優勝後にニュージーランド代表からは引退しましたが、その後もフランス、現在は神戸製鋼でプレーを続けていますけどね。

ワールドラグビーの年間最優秀選手に、史上最高の8回候補に上がり、うち2006、2009、2010年の3回受賞しました。のちに、ダン・カーター選手も2005、2012、2015年に受賞しますので、この2人による3回受賞が現在の最多記録になりますね。

そして、オールブラックスという最強チームに所属しながら、史上最多の148のキャップ数を持つそうです。国の威信をかけた真剣勝負のフル代表同士の国際試合をテストマッチと言うそうですが、その試合に出場するとキャップがもらえるそうです。ニュージーランドは選手のレベルも高く層も厚いですから、その代表として148試合も国際試合に出場すると言うことが、どれだけ途方もない選手だったかを表していますね。

私が、一番印象に残ったのは、オールブラックスの正キャプテンを2006年の25歳から務めていることです。年上の選手もたくさんいる中で、「私が主将にふさわしいとみんな思っているのだろうか」と言う疑念が拭えなかったそうです。とてもやりにくかったと思いますが、そこから名キャプテンと言われるほどまでに成長を遂げていくところに惹かれました。

キャプテンに就任した翌年のワールドカップでは、フランスに準々決勝で敗退し、オールブラックスとして最低の成績を残します。実力的には優勝候補筆頭だったにも関わらず、フランスの気迫に押されてミスが続出し、2点差での番狂わせの敗退でした。そして4年後の、雪辱を期してのワールドカップでは、キャプテンとして2度も優勝を逃すことになれば、オールブラックスに残る資格はないと、最後の試合になるかもしれないという決意で臨み、決勝でフランスに競り勝ち24年振りの優勝をニュージーランドにもたらしました。とてつもない重圧の中で、それを跳ね返し、チームを勝利に導いたところに感動しますね。

人柄も素晴らしく、そんなところも、ニュージーランド最高の栄誉「ニュージーランド勲章(Order of New Zealand)」を35才という若さで受賞した理由かもしれません。

今月開催されたニュージーランドで最も優れたスポーツ選手に与えらされるHalberg Awardsでも、過去2010年と2011年の2回、年間最優秀賞に輝いていました。

ダン・カーター選手とはポジションが違い、フォワードなので力強いプレーが増えるのかもしれませんが、それにしても100キロを超える大きな選手同士がすごい勢いで走りながら激しく当たって、よく体が壊れませんね。激しい衝撃が画面からも伝わってくるようです。

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