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ちひろ
書いてる人
深見東州さんの存在を知ったのは、もう15年以上前になります。日本にこんな人もいるんだというのがその頃の印象でした。
それから数年、この人はただ者ではないというのが私なりに分かってきて、それで深見東州さんのことを書いてみたいと思い、ブログを始めました。

ここ数年、見に来る人がやけに多くなって関心の高さを感じ、去年(2018年)からサイトも変え、もっとせっせと記事を書こうと思っています。

ところで深見東州さんについては、世間では意見が二つに分かれるようです。ダビンチのような万能の人じゃないかという人もいれば、怪しい人物じゃないかとか、胡散臭いと書かれていたりもします。よくわからない、謎の人物というのも多いですね。

ご判断はお任せするとして、肯定派の私の意見としては、深見東州さんの詳しい実態を知らなさそうな人、おそらく深見東州さんが出演するイベントに参加したことのなさそうな人に、否定的な意見が見られるように感じました。

と、えらそうなことを言っている私も、実は深見東州さんのことをよく理解しているわけではありません。わからないことの方が多いです。でも、イベントなどに参加すればするほど、本当に楽しいですし、ためになることが多いなと思います。この人はとてもいい人なんだなと心から思えますし、みんなを元気にしてくれる人だと思います。だから信用しています。

ということで、ここでは深見東州さんの活動から、まず、話題になっているものを拾い、最新情報を探して書きたいと思います。また、過去のことも調べて書いていくつもりです。ジャンルが幅広いのでわかりにくい部分はありますが、”誰でもわかる深見東州入門” を目指し、私自身も含めて、何者かよくわからないという人たちの謎を解くために書いていきますね。

オペラ「聖徳太子」はカーテンコールが鳴り止まず

新国立劇場オペラパレスで上演されたオペラ「聖徳太子」は、大絶賛でした。

いつまでもカーテンコールが鳴り止まず、それだけ本当に感動的なオペラでした。

聴衆を世界観に引き込む完璧なパフォーマンスと演出だったとおもいます。

出演者の熱唱と演技には、本当に魅了されました。8人のソリストたちは、それぞれの役柄を完璧に演じていました。表情がとても細やかで、炊屋姫のしたたかな表情や、蘇我馬子の野心と手段を選ばない非情な表情など、特に印象に残りましたね。

聖徳太子の妃、刀自古を演じた大貫裕子の、父と夫の間で葛藤し、苦しんで死を選ぶシーンや、タイトルロールを演じた深見東州さんが、刀自古を失った絶望から立ち直るシーンも、すごく胸を打ちました。

馬子に誅殺された泊瀬部大王が、呪って出てくるシーンにはゾクっとしましたけどね。

また、小野妹子や秦河勝を演じた2人のソリストは、爽やかで颯爽とした演技で、悲劇的なストーリーの中で隠し味的な良い味を出していましたね。ストーリーが一本調子にならずに、広がりができたと思います。

そして聖徳太子の相談役のような僧慧慈は、落ち着いた重厚な雰囲気で、ストーリーに深みを与えていたように思います。

それぞれのソリストの熱演だけではありません。今回、どのようにバレエのダンサーたちが登場するのか興味ありましたけど、それが素晴らしい演出でした。

初っ端での戦のシーンでは、華麗なダンスで戦の残酷さを重くなりすぎず上手に演出しました。これはイケると思いましたね。

その後も炊屋姫が即位するときには、宮廷の優雅な舞をモチーフにしたダンスを披露し、泊瀬部大王の暗殺のシーンでは、迫り来る恐怖をコンテンポラリーダンスで表現しました。

また、蘇我馬子が泊瀬部大王の亡霊に怯えるシーンでは、亡者たちの恨みをダンスで表現し、ラストのクライマックスでは、希望に溢れるこれからの日本を演出するような踊りを見せてくれましたね。

合唱団のメンバーたちも、ダンサーに混じって、しっかりとパフォーマンスを引き立てていました。

そして、クライマックスに向かうワンシーンでは、観音に扮した能の演出が登場し、非常に重要な意味を持っていました。厳かで神々しい能の演出をここで入れるてくるとは、非常に計算された素晴らしい演出でしたね。

観音様の役ですが、特にセリフはありません。しかし能の所作にもとずく最小限の動きでもって、厩戸皇子の祈りが通じ、未来が拓けてゆく予感を感じさせました。

これだけのオペラを仕上げるためには、どれほどの準備が必要だったのでしょうか。ソリスト、バレエダンサー、能楽師が見事に溶け合い、相乗効果を発揮する演出は、見事としか言いようがありません。長い時間をかけて準備し、練習を重ねてきたのでしょうね。

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