深見東州さんは40才から声楽を始め、ハイバリトン、バスバリトン、バスの三つの音域で歌われてきました。それまでは中低音を能楽の謡で磨いて、中高音をポップスや演歌、アニメソングで磨いて、ハイノートは声楽を習い始めてから、テノールの先生に習ったそうです。
声楽を習ったことで、音楽の芸術性や発声、表現力、音楽理論の理解を深め、高めることができたそうです。そのおかげで、どんなポップス、ジャズ、ロック、演歌、アニソンでも、高いレベルで歌えるようになったそうです。
そして、本来の深見東州さんの持ち声は、リリコ・スピント・テナーと言われたそうです。それでH(シ)まで出た時に、テノールに転向する事を勧められ、真剣に考えたそうです。あるヨーロッパのテノール歌手にも、「私はバスを4年、バリトンを8年、テノールを6年やってるが、君の声は典型的なリリコ・スピント・テナーだ。簡単ではないが、テノールに転向したらどうだ。きっと、世界的なテナーになるよ。雰囲気も姿も声も、テノールのスターそのものだ。私にできたんだから、きっと君にもできるよ。その持ち声が、もったいない。真剣に、考えてみないか」と言われたそうです。
しかし、考えた末に、やめたそうです。それは、深見東州さんは経営者でもあり、従業員に対してハイCで怒鳴っても迫力がなく、バスで怒鳴るとヤクザの親分のようになり、バリトンなら、ゴルバチョフのように説得力があると思ったからだそうです。😅
それは少しジョークもあるかもしれませんが、忙しい日々の中でハイノートを維持するのに声帯をケアするのは不可能だったのでしょう。バスやバリトンの方が、年を取っても歌いやすいようですね。
それでバリトンに徹することにされたようです。しかし本来は、カウンターテナーを入れると4オクターブで歌えるそうです。ただ、きれいに響かせて歌えるのは、2オクターブ半ぐらいまでだそうです。それでもすごいなと思いますけどね。
ところで深見東州さんは、これから声楽を学ぶ若い人たちの支援もされていますが、なるべく若いうちに外国に出て世界を知らないと、才能があっても小さな花で終わってしまうと言われていました。なぜなら、日本ではクラシックもジャズもポップスもミュージカルも、全部教えてくれる世界レベルの先生はいないからだそうです。
だから、世界に出て行く必要があるのでしょう。ただし、そうなると世界は英語が中心なので、マネージャーやエージェントも全部英語で仕事をしているそうです。なので英語ができなければ、そもそも仕事にならないそうです。そういうことで、若いうちにアメリカ、オーストラリア、イギリス、カナダなどの英語圏で学ぶのを勧められていました。もちろんイタリア、フランス、ドイツに留学するのもいいでしょうけど、英語学習は欠かさない方が良いそうです。
そうやって10代、20代で世界レベルのパーフォーマンスや発声を学ばないと、へんな癖が日本でついてしまうとなかなか抜けないそうですね。
深見東州さんも、オーストラリアの二大音楽学院のひとつ、アカデミー・オブ・パフォーミングアーツの大学院で修士号をとり、当時、世界の5大バリトンだったグレゴリー・ユーリシッチ氏から世界レベルの技術と表現を学んだそうです。クラシック、ミュージカル、ジャズ、ポップスの明確な違いや歌い分けを教えてくれたそうです。
そういうご自身の体験と、世界を見てきた実際の経験から、やはり声楽で世界を目指す人は、若い時からそこまでやらないといけないことを、切に感じられているのでしょうね。
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