元旦早々から、深見東州さんが代表を務めるワールドメイトに関するWEB記事が2本も出ていました。せっかくですので、2本とも紹介したいと思います。
【独占インタビュー】謎多き宗教家、深見東州とは何者か(聞き手、iRONNA編集部・溝川好男、松田穣)
明るくて楽しい「宗教」って何だ? 深見東州を私なりに考えてみた 鈴木邦男(「一水会」元顧問)
の2本の記事になります。
深見東州さんは、ご存知の方も多いと思いますが、ビジネスから芸術、スポーツ、教育、福祉活動まで、非常に多くの分野をまたいで活動している人です。その中の一つにワールドメイトの宗教活動もあります。
でも、このワールドメイトに関しては、公式サイトをはじめとして、肯定的に書かれているサイトもあれば、批判的なサイトなども散見します。宗教の場合は、どこもそんなものかもしれませんが、このワールドメイトの教祖であることが、深見東州さんを謎めいた人物にしているのではないかと、かねがね感じていました。
そんな私としては、今回の記事の内容は、ワールドメイトとはなんなのか、どんなポリシーがあり、他の活動とどのように関わっているのかについて、とても参考になるものがありました。つまり、今回の記事は、宗教団体ワールドメイトについて本当のところを知りたい人にとって、貴重なものになると思います。
内容は、直接読んでもらうとして、今日はインタビュー記事についての私の感想なども混じえて書いてみようかなと思います。まず、【独占インタビュー】「謎多き宗教家、深見東州とは何者か」から書いてみます。
深見東州さんは、ワールドメイトを設立する前から国内で事業を立ち上げ成功していました。そして、ワールドメイトの前身となる団体を創立して間もない頃に、すでに海外にビジネスで進出し、大きな飛躍をしました。海外でも着実に信用を築き上げ、交流範囲はどんどん広がっていきます。そこまでは、私も以前から理解していました。
そして今回の記事でわかったのは、そのような国際的な活動や、何でもできる基盤ができたからこそ、宗教的世界の日本代表としてやれているということでした。深見東州さんは、日本の神道家として海外でも紹介されていて、その宗教家としての立場から、海外で病院の運営や慈善活動に当たられています。日本の宗教家として、海外でも知られていることから、その世界においての日本代表の1人と言えるのかもしれませんね。
ローマ法王は、カトリックの代表として世界のどこの国でも歓迎されることが多いと思います。それはカトリックの頂点に位置する法王として、世界中のカソリック信者から慕われるだけでなく、普遍的な価値を持っているから、日本やアジアなどの異教徒の国でも受け入れられ尊敬されるのでしょう。
信者ではない人からも尊敬されてこそ、本当の宗教家だと思うと深見東州さんは言われていました。
確かにお釈迦様もイエスキリストも、信者ではなくても尊敬する人は多いですからね。それは、その教えに生きるヒントがあり、普遍的な宗教性を持っているからだそうです。
だから深見東州さんも、時代を超えて普遍的な宗教性を強調しているようです。ワールドメイトも、どこよりも斬新で現代的な活動をする一方、宗派や宗教の枠を超えた普遍的な宗教性を持たせようとしているそうです。
普遍的宗教性がないものは、閉鎖的になりがちになるそうです。宗教の殻に閉じこもり、宗教は神の一部なのに、宗教家が一番神の事を知っていると思う傲慢さに繋がるそうです。
深見東州さんは、宗教は宗教にしかできない役割と働きがあるけど、「美」の要素の芸術も神の一部、「真」である科学も神の一局面、会社の経営も社会科学だと言われてますね。「善」が宗教、教育、福祉、スポーツだそうです。だから、「真・善・美」を全部やるそうです。全部やって、初めて神を正しく受け取れるし、神を正しく実行できるからだそうです。
深見東州さんがビジネスだけでなく、音楽や舞台芸術、スポーツ、教育、福祉などあらゆるものに取り組まれる背景は、そこにあるようです。特に感性の極みである芸術が、最も神に近いと思っているそうです。
また、現代は経済の時代ですし、多くの人がサラリーマンです。ビジネスの世界に身を置くことは、人々とともに生きてきた歴代の宗教者と同じ立場になるということになるのでしょう。自ら過酷な経済の世界で生きなければ、人々の苦しみとかを共有して救いの教えを説くことなど、なかなかできませんからね。
ということで、深見東州さんの漠然とした謎の部分が、かなり理解できる内容になっているように感じました。
PS:リンク先のサイトが現在は無くなっています。なので原文を以下に載せています。
【独占インタビュー】謎多き宗教家、深見東州とは何者か(聞き手、iRONNA編集部・溝川好男、松田穣)
深見東州(ワールドメイト代表)
宗教というのは暗くて地味なものではなく、特に神道は明るく、楽しい、面白いものだということを皆さんに知ってもらいたいんです。宗教が暗くて閉鎖的で反社会的というイメージは、本当の宗教を知らない無知な人の観念なんですよ。
我々の宗教法人「ワールドメイト」が各地の支部を「バッチバッチグー・千葉エリア本部」、「宇宙戦艦トヤマ支部」なんて名前にしたり、私自身がコスプレをやったり、至る所にギャグをちりばめているのも、暗い閉鎖的なイメージを払拭したいという強い思いが理由の一つです。日本ではこうした偏見が強い傾向がありますから、そのアンチテーゼなんですよ。
今日の宗教というのは国際的で、自由経済の一端を担い、民主的なものになってきています。こうした宗教がこれからの時代の宗教なんですよということを少しずつでも知ってもらうために、時間をかけてさまざまな活動をしてきました。
例えばビジネス。予備校運営は38年、高級時計の輸入販売も36年、今、オーストラリアの観光会社、ヨットのマリーナと牧場も持っています。さらに、イギリスにホテルと観光会社もありますよ。日本にももちろん観光会社と出版社、ファーマシーと公益財団などがあり、計13社ぐらいの社長をしています。
それゆえにビジネスの範囲は限りなく広がり、国際的な活動も何でもできる基盤ができた。カンボジアには大学も作りましたからね。さらに、テレビ局とラジオ局を持っています。病院もあります。そういう基盤っていうのは日本人の誰もができるわけではないからこそ、宗教的世界の日本代表としてやれているわけです。
では、なぜビジネスに取り組むかというと、その時代、時代の優れた宗教者は人々と共に生き、その苦しみや悲しみを共有してその中から救済の法を説きました。現代は、武家社会の鎌倉時代でもなく、貴族社会の平安時代でもありません。労働者の8割がサラリーマン、OLの時代だからこそ、自らビジネスの世界に身を置くわけです。無論、これは歴代の宗祖たちと同じように、天啓によって行っているのです。
そうすることで金銭の尊さを日々実感しているんです。ビジネス社会で、人々が何を大切にし、何に苦しんでるのか。それを、いつも肌で感じるからこそ、多くの著作に説得力を持たせ、人々に共感してもらえるのではないでしょうか。
宗教とビジネスは矛盾するものではない
時代は変わり、社会は変わっても、人々と同じ立場に身を置き、痛みを実感し、 説く教えの大切さは変わりません。そして、時代を反映すると同時に、時代を超えた普遍性があるのが、本当の宗教者であり、そこから生まれる教えが、本当に生きた教えだと思っています。
とはいえ、 これらのビジネスを信仰と混同することはありません。ワールドメイトが予備校を布教に使うこともない。それは「聖と俗を区別して共存させる」という、神道古来の特質に由来しているからです。
著名なカリスマ経営者は普遍的な神仏への信仰を持ち、ビジネスと区別して共存させているじゃないですか。出光興産創業者の出光佐三氏は宗像大社の熱心な崇敬者です。 西武グループ創始者の堤康次郎氏は箱根神社の熱心な崇敬者。「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助氏は会社の敷地内に「根源の社」を建立し、 自身は辮天宗の総代も務めていましたよ。東芝の社長・会長を歴任した土光敏夫氏は、熱心な法華経崇敬者でした。
また、京セラ創業者の稲盛和夫氏や、協和発酵の創業者である加藤絣三郎氏、エスエス製薬の創業者の泰道照山氏も、熱心な仏教者ですね。特に泰道照山は、 天台宗の僧侶で、出家得度した人物として知られます。そして「Canon」(キャノン)が「観音」から来てることは、あまりにも有名でしょう。角川書店の社長だった角川春樹氏は、群馬に宗教法人「明日香宮」を創設した教祖で、宮司でありながら、角川書店の社長もしていた。
どの経営者も、信仰を自身の拠り所としつつ、信仰と経営を混同させず、はっきり区別して共存させたのです。これらは、聖と俗を区別して共存させる好例なんです。ですから、宗教とビジネスは矛盾するものではありません。
また、こうした活動をすることによって、さまざまな雑誌などのメディアに取り上げられるようになり、私がやっていることを知る人が多くなったのは良いことだと思っているんです。雑誌や本を見て我々のワールドメイトに入りたいという人はそれでいいし、嫌だと思う人は他の宗教に行けばいい。 ワールドメイトは、神道がベースです。神道の思想は、神社を見れば分かりますが、「来る者拒まず、去る者追わず」で、本来強制がない。だから、ワールドメイトも神道の伝統に則り、社会性を大切にするわけです。
信仰がないよりはある方がベター
「新日本宗教団体連合会」(新宗連)というのがあって、アンチ創価学会でつくった立正佼成会が中心となった新興宗教の集まりがあります。現在60団体ぐらいが加盟している。その新宗連には4つの柱があります。
一つは政教分離。これは創価学会へのアンチテーゼで、宗教と政治を分離すると憲法にありますから。それから信教の自由。あとは宗教協力。宗教団体が協力して世界平和を実現しなければならない。もちろんWCRP(世界宗教者平和会議)もそうなんです。WCRPは、現在「Religions for Peace」に名称変更してますが。最後は、「国民皆信仰」という考え方です。
その国民皆信仰という概念が、新宗連の4番目の柱ですが、我々も国民皆信仰に賛同しています。どんな考え方かというと、一つの宗教団体がすべての人を賄うことはできないということなんです。日本人といってもたくさんいますから、一つの宗教団体が、すべての日本国民を変えることはできないと考えるのです。
ならば、どこかの宗教団体に入って、それが嫌ならどこか別の宗教団体に移ればいい。要は自分に合うところに行けばいい。無神論で信仰を持たないよりは、どこか信仰を持っていた方が、信仰がないよりはベターだという考え方、これが国民皆信仰です。信仰がまったくない人間よりも信仰がある人間の方が、孤独とか不安に強くなり、安心立命が得られる。つまり、最終的に自分の力で自分を救っていく力があるわけです。それが、宗教の持つ社会的役割でしょう。
ワールドメイトもそうなんです。だから、はっきりと宗教団体としてのカラーを打ち出して、それでいいなという人が来てくれたらいいわけです。どの道、カラーに合わない人は辞めますから。入退会は自由、強制もしない。
もちろん、暗くて閉鎖的でまじめな宗教がいいという人は、そういうところへいけばいい。日本だけでもたくさん宗教団体があるので、創価学会へ行ってもいいし、立正佼成会に行ってもいい。ワールドメイトだけで全てのニーズは賄いきれませんから。だから、ワールドメイトに合う人だけ来ればいいし、嫌なら辞めたらいいんです。
この考え方は運営している予備校「みすず学苑」も同じ精神です。はっきり言うと、合う人だけ来たらいい。予備校は予備校らしくあらねばならないという人は、そういう予備校に行けばいいわけなんです。
新興宗教は閉鎖的?だからこそ逆を行く
新宗連の4本目の柱の「国民皆信仰」という概念は、非常に重要だと感じています。それが、今の新しいこの時代の宗教性だと思っているからです。私は新新宗教の御三家と言われたんです。それはワールドメイトの私と大川隆法氏、オウム真理教の麻原彰晃氏です。宗教学者の島田裕巳氏は、麻原彰晃と深見東州は平成の宗教改革者だと言っています。
ただし、「あまり社会の軋礫を恐れすぎたら伸びないですよ」っていうような ことを、皮肉っぽく書かれています。でも、まあおっしゃった通りになりましたよ。かたや死刑囚、かたやこのように世間の軋礫を恐れず、明るく楽しくやる神道ですから。島田氏はそれだけ宗教のことを研究しているので、島田氏にいくら言われても全然うれしいですね。宗教のことをよく知っている人ですからね。
オウム事件なんかがあって、特に新興宗教は先ほども触れたように、閉鎖的で排他的で怪しいというイメージが先行しているんです。テレビなんかは宗教団体が撮影してはダメだとかいうところを、意図的に撮ろうとして怪しい雰囲気を醸し出すものです。
だからこそ、我々ワールドメイトはその逆を行くんです。テレビが来たら、もう何でも取材してもらう。どうぞどうぞって。フレンドリーで明るくて、そんな場面ばっかりだったら、面白くないからテレビは放映しないんです。
ワールドメイトも、かつて「ビジネスと宗教が一緒になってるのではないか」と疑われて、マルサが来たこともありました。でも、結局何の問題もなかったことが証明され、かえって私たちの活動の正しさを知らしめることができたんです。反社会的でも閉鎖的でもなく、要は叩かれようがないんです。元は神道、生業と家とコミュニティーを繁栄させる精神や教えですからね。
時代を超えた、普遍的な宗教性を貫くことは、旧態依然とした活動を続けることではありません。社会が変容してる以上、その時代の、社会に即した救済方法が必要だと思っています。それは、旧時代から見れば、異端や革新的に見えるものです。
やはり、強調したいのは普遍的宗教性ですね。これがないものは、やっぱり閉鎖的になりがちです。宗教の殻に閉じこもっているわけですから。宗教は神の一部なのに、宗教家が一番神の事を知っていると思う傲慢さがある。
宗教は宗教にしかできない役割と働きがあります。しかし、「美」の要素の芸術も、神の一部だし、「真」である科学も神の一局面ですね。経営も社会科学ですからね。そして、「善」は宗教そのものであり、教育や福祉、スポーツもそうです。それだから、「真・善・美」を全部やってるわけです。真善美を全部やって、初めて神を正しく受け取れるし、神を正しく実行できると思っているんです。
だからこそ、私は宗教やビジネスだけでなく、作詞や作曲、文芸全般、絵画、オペラ、ジャズ、ロック、能楽、京劇、パントマイム、演劇など、あらゆる芸術文化に積極的に取り組んでるわけです。感性の極みである芸術が、最も神に近いと思うからです。
信者じゃない人から敬われてこそ本当の宗教家
宗教団体というのは、そこの宗教に入っている人にとっては、派手な着物を着たおばさんの教祖なんかに額衝(ぬかず)くでしょ。外から見たら、このおばさん何を言ってんだってことにしかならない。重要なのは、その宗教の信者じゃない人からも、敬われるのが本物だということです。
お釈迦様って別に仏教徒じゃなくても、皆尊敬するでしょ。イエス・キリストもクリスチャンじゃなくても尊敬する。マホメットも、マホメットの価値はイスラム教徒でなくても認めますよね。孔子とか老子とかも、別に儒者や道教の信奉者でなくても学びますよね。
信者じゃなくても尊敬するし、生きるヒントにするわけです。それが、やっぱり普遍的な本当の宗教性を持ってる人と言えます。だから、その信者は敬うけども、信者じゃない人からは変な目で見られ、全く相手にされないっていうのはダメなんですよ。
信者からも敬われ、信者じゃない人からも敬われてこそ、本当の宗教家だと思うわけです。要するに、普遍性が大切なのです。真理とは何かと考えたら、いろいろと定義はあるでしょうが、普遍性というふうに置き換えられると思っています。
だからこそ、ワールドメイトの活動は、どこよりも斬新で現代的である一方で、その中には宗派や宗教の枠を越えた、普遍的な宗教性を持たせようとしている。そして、あらゆる誤解を乗り越えて、会員の幸せを第一に考え、法的にも人道的にも、社会的にも信頼に足る宗教団体をめざしているのです。(聞き手、iRONNA編集部・溝川好男、松田穣)
明るくて楽しい「宗教」って何だ? 深見東州を私なりに考えてみた 鈴木邦男(「一水会」元顧問)
「燕雀(えんじゃく)安んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」という諺がある。つばめやすずめのような小さい鳥には大鳥(おおとり)や白鳥の心がわかるはずがないということだ。まさに僕はすずめだった。その辺のすずめやつばめのことなら分かる。でも、余りに大きな鳥のことは分からない。なぜ、こんな大きな鳥がいるのか信じられない。また、何を考えているのかも分からない。
深見東州氏はまさに「鴻鵠」だった。その存在も、やっていることも信じられなかった。どう見たらいいのか、どう理解していいのか、分からなかった。
有名な人だから昔から名前は知っていた。ただ、変わった宗教の代表。というくらいの認識だった。僕の友人にワールドメイトに入っている人がいた。また、深見氏の本を愛読している人もいた。「これは面白い」「楽しい本だ」と言われても、正直、関心がなかった。「明るく楽しい宗教」というのが信じられなかったからだ。マスコミに大きく取り上げられるのも胡散臭いと思っていた。宗教家ならば、もっと深刻な顔をして山の中で苦行しているはずだ。「明るく楽しい」なんて、おかしい。そう思い込んでいた。
でも、新聞を見ても、電車に座っても深見氏の情報が目につく。こっちは関心がないのに、どこまでも追っかけてくる。そんな感じだった。宗教家だと思ったが、どうもそんな枠は飛び越えているようだ。絵を描き、書を描き、オペラまでやる。と思うと世界の大政治家たちを呼んで、一緒になって世界平和を論じている。一体、この人は何なんだと思った。僕の理解なんか、とっくに超えている。まあ、いいや。どうせ僕には理解できない人だ。遠い世界の人だと思っていた。どうせ接点などないんだし。と思っていた。
ところが、この小さなすずめが巨大な大鳥に出会ったのだ。今から6年前の2010年(平成22年)の1月14日、僕が属している一水会の勉強会(一水会フォーラム)に深見氏が来た。ワールドメイトリーダーの深見東州が講師で、演題は「中村武彦とワールドメイト。そして人生の本義」だった。これにはビックリした。一水会は新右翼と呼ばれることが多い。だから一水会フォーラムも講師は右翼的な先生や政治運動をしている人が多い。それなのに何故、ワールドメイトなのか。何故、深見氏なのか。
一水会は1972年、右翼の学生運動をしていた人間が中心になってつくられた。僕もその創設メンバーの一人だった。だが、最年長というだけで代表にされた。一水会代表は1972年から1999年まで30年近くも続いた。ただ、余りに勝手なことを言い、勝手なことをやるので右系の内外から顰蹙を買い、大変なバッシングを受けた。それで、一水会は組織を一変し、生まれ変わりを計った。
木村三浩氏を新代表にし、僕は顧問に退いた。2000年から木村新体制がスタートした。21世紀の右翼・民族派運動だ。僕と違い、木村氏は国際的な視野を持ち、世界中を回り、各国のナショナリストとの連帯も拡げていった。反グローバリズム、反米の闘いも進め、イラクには何度も行った。僕も初めて行った。現地で反戦集会、反戦デモに参加した。
2003年、木村氏が団長になり36人でイラクへ行った。でも、ここに参加したのは右翼だけではない。元赤軍派議長の塩見孝也さん。ミュージシャンのPANTAさん。お笑い芸人の大川豊さんらも参加していた。この1カ月後の3月18日~21日は、木村氏に連れられてフランスのニースに行った。フランス国民戦線30周年大会に木村氏が招待され、僕もついて行ったのだ。
この年はタイや北朝鮮にも行った。1970年に日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮に渡った人々とはぜひ会ってみたいと思い、それが実現した。「よど号」グループの一人・田中義三さんはひそかにカンボジアに脱出し、日本帰国への資金作りをしていた。しかし逮捕され、タイで裁判を受けていた。タイでニセ米ドルを使ったという容疑だった。「これは冤罪だ。田中を釈放しろ」という運動が宮崎学さんたちを中心に起こり、僕も何回かタイに行き、田中さんにも面会した。
木村氏が代表になって一水会は急に「世界の一水会」になった。おかげで僕も海外に出る機会が増えた。木村氏はほかにも、ロシア、インドなど世界をまわり、世界のナショナリストとの連帯を深めていた。僕も、必死に勉強し、なんとかついていこうとした。そんな国際化の中で、深見氏の講演会は行われた。深見氏も木村氏も日本を飛び出して世界で活躍している。その中で二人は知り合ったのだろうか。
また、一水会幹部の中に、以前ワールドメイトに入って運動していた人もいる。その関係で来てくれたのか、僕も不思議に思っていた。当日集まった満員の人々も面くらっていたようだった。「新右翼」とワールドメイト、深見東州氏、まったく接点はない。でも、どんな関係があるのか、なぜ一水会は深見氏を呼ぶのか。この何故、何故があって、推理小説を読むような気分で来た人も多かったようだ。僕自身もそうだ。
深見氏の講演会が始まると、まずはじめに歌をうたう。皆の度肝を抜く。うまい、凄い声量だ。オペラを歌い、さらに、何と「君が代」を歌う。実に感動的だった。よくサッカーなどの国際試合が始まる前に歌手が君が代を歌う。しかし、みんなうまくない。それだけ「君が代」は難しい歌なのだ。それなのに堂々と歌う。うまい。多芸多才な人なんだと思った。
深見氏の演題の「中村先生」はもう亡くなられたが、右翼の先生だ。僕らも大変お世話になった。一水会を作るずっと前から知っていて、お世話になっている。その中村先生に、深見氏もお世話になったという。中村先生の集まりにもよく行っていたという。だとしたら、その頃、僕らは会っていたのだ。あれ、こんなに近いところにいたのか、と思った。我々は中村先生の「教え子」だ。その点では同じ「弟子」だ。昔の同級生に会ったような気がした。木村氏は深見氏とはいろんな分野で会い、お世話になっているようだった。
深見氏は「中村先生にはとてもお世話になった。その恩返しをしたい」という。でも、中村先生は亡くなっているし、だから同じ中村先生の弟子たちにご恩を返すという。一水会や、そこに集まる人たちは(古い人は)、皆中村先生の教え子であり、弟子だ。その人たちが今、頑張っているので、お手伝いしたいという。それからしばらくして、「伝統と革新」という雑誌が、たちばな出版から出された。今の右派の人たちが書いて主張する場をつくったのだ。
一水会フォーラムで深見氏が講演してから7カ月後、誰もがアッと驚くイベントが行われた。(2010年)8月12、13日に東京のフォーシーズンズホテル椿山荘国際会議場で行われた「世界平和をもたらす愛国者の集い」だ。来日したのはフランス、イギリス、スペインなど欧州8ヶ国。20人の国会議員、欧州議員だ。これには本当に驚いた。僕が一水会代表をやっていた時なら全く考えられなかったことだ。それに20人の議員を外国から呼んで会議を開くなんて、いくら頑張ってもできないことだ。それも、右派議員だけが集まって話し合っているのではない。どうしたら戦争のない世界をつくることができるか、それを話し合うのだ。この大会には莫大な金がかかったらしい。深見氏にもスポンサーの一人になってもらったという。こんな奇抜なことを考えるなんて、多分、このプラン自体から相談してたのだろう。そうじゃないととても出来ない。
それに、宗教的なものを感じたからだ。集まった20人の議員は、ほとんどがキリスト教徒だ。だからEUを作ったり、欧州議会を作る時にも共通の基盤として、それがプラスに作用したのだろう。宗教があることによって対立するのではなく、寛容になり、対立を乗り越えるバネになっている。そんなことを感じて、8月12、13日の全体会議の時にもそれを感じたが、終わった後に特に感じた。14日に靖国神社参拝、15日は明治神宮参拝、そして16日からは京都、奈良を回り、京都御所も訪れた。
靖国神社は日本側からは何も言ってない。日本人が参拝しただけで外国から抗議がくるぐらいだから、日程には入ってない。ところが外人議員の方から、ぜひ靖国神社に行きたいという強い要望があって実現したのだ。中まで入り、昇殿参拝もした。宮司さんから、参拝の方法を聞き、それを厳守して参拝していた。ほとんどの人がキリスト教徒なのに…と驚いた。
この日は日本のマスコミも大勢取材に来ていた。フランス、イギリスなど、さきの大戦での「戦勝国」だ。それなのになぜ、敵国の神社に参拝するのか。それにここはA級戦犯が祀られているのに…という質問があった。これに対し、フランス国民戦線のルペン氏はこう答えていた。「国のために亡くなった人に敬意を示すのは当然ではないか」と。どこの国に行っても、その国のやり方に従って、敬意を表している。ユダヤ教の国ではユダヤ教のやり方で、イスラム教の国ではイスラム教のやり方で敬意を表し、慰霊しているという。これには驚いた。日本人でも宗教が違うからとか、理由をつけて靖国神社に行かない人はいる。それなのに「戦勝国」のキリスト教の議員たちが参拝してくれた。
さらに遊就館に案内した。ここはかなりイデオロギー的な説明が多い。フランスやイギリスなど西欧列強はアジアを侵略し、それに危機感をもって日本は自衛のため、アジア解放のために立ち上がって戦争したと書かれている。英文の説明もあるし、英語でも説明していた。この説明や時代背景は「戦勝国」の議員にとっては愉快ではないはずだ。「歴史の偽造だ!」「とり外せ」と文句を言われても仕方ない。ところが彼らは「そう思われても仕方ない」「そんな面もあった」「我々がアジアを侵略したのは事実だし」と言う。日本人よりも彼らのほうがずっと寛容だ。
また、会議の中ではEUに対する不満やグローバリズムへの危機感などが話し合われた。移民によって自国の文化がなくなるのでは…という心配もあった。愛国者の人たちがまず、これを考え、そして他国と話し合う。それが戦争を防ぐものになる。だって戦争が起こる時、「国難」に対してまず愛国者が声を上げ、立ち上がる。そしてメディアが応援し、戦争が始まる。誤った判断や情報に基づいて、戦争になることも多い。
普段から「愛国者」同士が連絡をとっていれば、こうした誤った情報に基づく戦争を阻止することができる。では愛国者の努力にかかわらず戦争が始まった場合、どうなるのか。この話も出た。「その時は国のために闘う」「いや、非国民と言われてもいいから戦争に反対する」と。もし戦争を阻止できなかったら、「国と国」という全面戦争にしないで、「愛国者」と「愛国者」の戦いにとどめることを考えてもいいのではないか。という人もいた。これは凄いと思った。「愛国者」というと、各国の中で最も戦闘的で、いつも戦争をアジっていると思っていたが、違うのだ。それに、この集会は「愛国者の大会」ではない。「世界平和をもたらす」愛国者の大会だ。随分と取材も来ていた。「これは愛国者インターナショナルだ」とか「反戦平和の集会だ」と書いたところが多かった。これはかなり前の段階から深見氏の理想や哲学が入っているのではないか、と思ったほどだ。
初めに「宗教団体」ありきで、そこに集まる数多くの人と多くの資金がある。その上で深見氏は、オペラ、ゴルフコンペ、政治家とのトーク、などをやってきたのだろうと思っていた。でも、この考えは間違っていた。しょせん「燕雀」の考えに過ぎなかった。むしろ、「深見東州」という才能がまずあって、そこからいろんな動きが生まれてきた。
ライブやトークや出版や、その一つとして「宗教」もある。だからそこに集まった人からの金でいろんな活動をしているわけではない。そのことが分かった。いろんな人たちに聞いて分かったのだ。だから、「宗教部門」はなくとも構わないのだろう。そして思った。そうか、そういう方法があったのか、と。
学生時代、僕は「生長の家」の運動をしていた。それを基にして右派学生運動をつくった。大学を卒業してから、プロ的な活動家になるか、あるいは「生長の家」の本部に入り宗教活動をするか、迷った。宗教活動にもひかれたが、「自分」を出せない。すでにある「教義」を人々に知らせることに専念し、自分の解釈や自分の考えを出してはいけない。それでは、自分の生きる意味もないと思った。だから、少しでも自分の考え、自分を出せる右派運動の方を選んだ。
でも、今、考えると、そうか、この方法があったのかと思ったのだ。深見氏のやり方を見て、同じように悔しがっている人は多いと思う。もちろん、これも「燕雀」の考えだ。深見氏はその余りある才能があったので初めてできた。それなのに「もしかしたら俺たちだって出来たのかもしれない」などと一瞬でも考えた自分が愚かだったと思う。ただ、深見氏に対する理解が少しだけ進んだような気がする。
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